映画出演者・井上輝子さんメッセージ
忘れもしない1970年11月14日、たまたま新聞で見つけた数行の案内「ティーチイン 性差別への告発」に惹かれて、千駄ヶ谷区民会館に出かけたのが、私のウーマン・リブとの最初の出会いでした。それがきっかけで、リブの集会や合宿に参加するなかで、アメリカで始まりつつあったwomen’s studiesのことを知り、「日本でも女性学を」と呼びかけ、私のその後の人生が開かれました。
あれから45年が過ぎ、今では、「ウーマン・リブって何?」「フェミニズムはダサい」「女性学は古い」等々の声が、若い人たちから聞かれるようになりました。もちろん批判は大いに結構。古い世代の運動や研究を批判することは、後からきた世代の特権であり、それによって歴史は進むのですから。でも、私たちが闘った活動が無かったかのように、歴史から消されてしまうことは納得できません。そもそも活動の記録や記憶が残されないことには、批判も乗り越えもできないわけですから。
一方で、同時代を生きたはずの女性たちから、「リブなんて、私たちとは関係ない」「女性学、特にジェンダーなんて難しそう」と、言われることがよくあります。でも、リブから45年経った今でも、女性の生き難さは、あまり変わっていないように思います。セクハラやDVが多発しているだけでなく、「女のくせに」とバカにされたり、「女には無理だ」といって、やりたいことをさせてもらえなかったり、経済的不安のために離婚できなかったり、子どもの不始末を全部母親のせいにされたり、言い出せばキリがないほどです。自分が日頃感じている口惜しさや怒りを口にして、「いやなことはいや」「私の人生は私のもの」と言い切ったのが、ウーマン・リブであり、女の生きづらさがどこから生まれるのかを、明らかにしようとしたのが女性学です。だから、リブや女性学は、今でも多くの女性たちの人生と無関係ではなく、つながっています。リブや女性学の軌跡を知ることで、いま困難や息苦しさを感じている多くの女性たちに、「自分もやれるんだ」と、多少とも勇気と希望をもってもらうことができれば、うれしいです。
リブとかフェミニズムという言葉を聞くと、ある種の型にはまった女性像をイメージする人が多いと思います。でも、リブやフェミニストといっても、皆それぞれちがう人間ですし、置かれた状況もいろいろです。常に走り続ける戦闘的な活動家もいれば、シャープな切れ味の水先案内人もいれば、私のようにゆるいキャラの人もいます。幸い、松井監督は、フェミニストの鋳型を描くのではなく、多種多様なフェミニストの生き方をありのままに伝えてくださりそうです。自分の人生を語ることは、内心、気恥ずかしいとは思いつつ、フェミニズムの多様性を知っていただきたいと思って、私は撮影をお引き受けしました。
この映画から、色々な世代の女性たちが、70年代以来の私たちの経験を受け止めて、次に続く力にしていただければと願います。