映画完成までの様子を松井監督自身の制作日記でお届けします。


■2013年12月19日

神楽坂のてんぷら屋で田中喜美子さんにお会いする。
「Wife」発刊50周年のイベント会場でお目にかかったのは、ひと月前のこと。
 その日、私が既存の映像をまとめるお手伝いをした「わいふ」誌50年のドキュメンタリーが上映され、温かなねぎらいの言葉を頂いたばかりである。
 その方が「もう一本、別のドキュメンタリーを作りたいと考えていらっしゃる」との、友人の現編集長・前みつ子さんのお話で、ご本人のお気持ちを直接うかがうことになったのだ。
 ずっと活字の世界で仕事をしてきた田中さんが、「わいふ」のドキュメンタリーについて「映像にするとこんなにも解りやすく、人に伝えやすいとは知らなかった」との感想がうれしかった。
 そして、「私の仲間が、つぎつぎ死んで行っちゃうのよ。日本のフェミニストたちを映像に残せるのは、今しかないと思うの」とのお言葉には切実な迫力があって、なんとかこの方のお気持ちに応えたいと、素直に思った。
 が、フェミニズムといえば、私がこれまでの人生のなかでずっと一線を画してきたテーマである。自分が監督として取り組むことは、ちょっとあり得ない話のように思えた。
 いっぽうで、私にとってこれほど有り難いことはないとも思う。いまの私には向き合うべきものが何もなく、とにかくつくることに飢えているのだ。また映画をつくるチャンスが与えられるなら、どんなに小さなものでもやってみたい。揺れながら、覚悟は決まらず、田中さんとお別れすることになる。


■2014年1月18日

 暮からお正月にかけて買いためたリブの資料を毎日むさぼるように読んでいる。資料写真
 机の上には日に日にリブ関係の本や資料が山積みされていき、彼女たちの書いたものを読めば読むほど、田中さんのお誘いに乗りたい気持ちがつのっている。
 私はあの頃リブを横目に眺めていただけだけど、こうして読んでいると遠い青春の日々が思い出されて懐かしい。彼女たちがこんな訴えをしていた間、私はいったい何をしていたのかと、忸怩たる思いのなかで考えた。
 彼女たちはこれだけ膨大な活字資料を残しているけど、はたしてこれらがどのくらいの人に読まれているだろうかと。
 リブたちが訴えていたことは、女性にとって根源にせまる思想であり、どんな時代のどんな境遇にいる女にも通じる普遍性をもっている。映画になったら、彼女たちの主張が今を生きている女たちにも届くだろうか。届けたいと思う。知らない人びとに届けるのが私の仕事ではないか…。


■1月26日

 映画をつくるにあたってつねに切実で頭の痛いのが、資金の問題だ。お金がなければ何も始めることはできないが、幾らなければできないというわけでもない。
 予算によってつくり方はいかようにもなるところが映像作品のむずかしいところ。
 この題材でこれまでの映画のようにスポンサーをつけたり、出資を募ったりすることは無理だろう。
 今日、田中さんからドキュメンタリーをつくるのに必要な額を聞かれて、私なりに最低はこれくらい…と答えると、「そのくらいなら、私が出せそうだわ」と笑顔で言われホッとしたが、もしその額でつくるとなれば、カメラも自分で回さなくてはならないだろう。しかも世のパパやママたちが運動会で使うような、素人用の小さなカメラで。
 ドキュメンタリーはテレビ時代に二本だけつくったことがあるが、あの時はもちろんカメラマンも録音さんも照明さんもいた。ビデオカメラなんて回したこともない私が、はたして人にお見せできる映像を撮れるだろうか?
 考えるうち、これは田中さんから出していただく資金だけでは到底できないだろうと思いはじめ、また尻込みしたくなってきた。


■2月10日

 田中さんから電話をいただき、お宅にリブ新宿センター時代のメンバーのお一人、米津知子さんが来られるから会ってみないかと言われ、神楽坂に向かう。
 2歳のときポリオにかかって以来ずっと足が不自由と聞いていた米津さんが、自ら車を運転し、資料を山ほど抱えてきてくださった。
 そのことにも感動したが、折り目正しく控えめなお人柄という印象に、私が勝手に想像していた「リブの闘志」の面影は微塵もなく、すぐに話が弾んだ。こんな人なら、私も気負わずにインタビューできるのではないか。自分の不安をそのままぶつけても受け止めてくださるのではないか。そんな気がして、
「同じ世代でありながら、リブ運動に対しては長い間、自分とは遠い人びとのことと思い込んできたのです。そのせいもあって、勝手にコンプレックスをもってきたの」と打ち明ける。
 と、米津さんは、「不思議ですね。私たちこそ、社会でうまく活躍できてる松井さんのような人たちにコンプレックスがあったのに。ぜひ、松井さんのリブに対する違和感を大切にしながら撮ってください」と言ってくださったのだ。
 これで覚悟がきまった。ほぼ同年代の、同時代を生きてきたこの人と、ちゃんと出会いたい。向き合ってみたい。
 米津さんと会ったこの日を、今回のお話を引き受ける「決心をした日」としよう。

田中邸玄関の梅

田中邸の玄関に活けてあった梅