■2014年3月15日

 中国の従軍慰安婦・万愛花さんを偲ぶ集会。今回のインタビューを快くお引き受けくださった集会の主催者・元NHKディレクターの池田恵理子さんへのご挨拶もかねて、はじめてカメラを持っての取材である。
 集会に参加して、現政権になって再び日韓の政治問題と化している従軍慰安婦問題が、政治問題でなく人権問題、女性問題なのだと、改めて強く思う。韓国の従軍慰安婦の声には触れることが多いが、今日の集会では中国や台湾の実情も知ることができ、勉強になった。


■3月16日

『折り梅』で照明助手をしてくれた尾下君に会う。
 作品の大半がインタビュー映像になるとなれば、映画的なひと工夫が欲しいとさんざん考えたあげく、大がかりにならない光のあて方で「何かいいアドバイスはないかしら」と尾下君に電話する。と、タイミングよく、その日のうちに会えることになった。
 たまに電話で話すことはあったものの、会うのは『折り梅』以来なんと13年ぶり。あの頃はまだ独身で、笑顔にいたずらっぽさの残るシャイな青年が、いまでは3人の子の父になり、立派な技師さんに成長した姿が、頼もしい。5月からは是枝監督の映画の仕事が決まっているそうで、着実に仕事の成果をあげてきたこともわかり、うれしかった。
「手伝いますよ。何でもやらせてください。4月いっぱいなら空いてますから」
「そりゃあ私も尾下君に手伝ってもらえれば有り難いけど、今回は映画の照明さんを雇うようなお金はないの」
「お金なんて、予算内でいいですよ。久しぶりに松井監督と一緒に仕事ができれば。手伝わせてください」
「でも、機材も要るでしょ?機材があれば車だって。ほんとに、無理無理」
「機材屋には僕が頼めばライトのひとつやふたつ貸してくれます。車は僕のを使えばいいんだし。とにかくやらせてください」
 そんな感じで強力な助っ人をひとりゲット。予算の心配はあるが、さい先は良さそうだ。


■3月18日

 上野さんの山梨市での講演会が、結局開催されることになったと知って、山梨にとんでいく。
 ネット・ニュースによると、山梨市で半年以上前に決まっていた上野さんの講演会が突然市長の意向で中止になり、その市長の判断に異議を唱える市民たちが署名運動をはじめたり、マスコミも騒ぎ出したため、市長は急遽中止を撤回、講演会が無事予定通り行われることになったそうである。
 またも、フェミニストへのバックラッシュが始まったのか…と、何年か前に国分寺市で上野さんの講演がキャンセルされたときのことを思い出す。
 昨日そのことを知って、あわてて上野さんに電話をかけて取材のお願いをした。
 上野さんの快いご返事に、勇んでカメラと三脚をかついで山梨市に向かったのだ。

 予定より1時間も早く山梨市市民会館に着いて、突然思い出した。
 その会場は10年以上前に『ユキエ』も『折り梅』も上映した所ではないか!
 二作品の上映会を主催してくれたSさんとは今でも年賀状のやりとりをしているのに、どうして気づかなかったのだろう。思い出していたら、前もってSさんに連絡をして、久しぶりにお会いできたかもしれないのに…。
 上野さんが昨日のうちに話しておいてくれた山梨市役所の担当者に挨拶すると、
「ここの住民でS.Sさんという方をご存知ないですか?」と聞いてみる。長い間山梨市の市民運動で活躍されてきた方だから、きっとお役所の人も知っているに違いないと。
 が、担当の若い女性は「お名前は知っています。今回の署名運動もされていると聞きましたけど、私はSさんのお顔も存じません」とのことだった。
 
 そうこうするうち上野さんが会場入りして、講演の準備に入られる。笑顔の上野さんに緊張感のようなものはなく、スタッフとの丁寧な打合せが終わり、楽屋に入ったところで件の市長が登場した。
 「これはどうも、どうも。市長の望月です。今日はよろしくお願いします」と名刺を差し出しながらのご挨拶は、昨日までのトラブルがまったくなかったように爽やかな笑顔である。上野さんも市長にあわせて柔らかく、大人の応対をしていらっしゃる。
 そこで突然、私の取材者魂がムクムクと頭をもたげた。
 カメラを市長の面前に構えながら、
「市長、今回市長がどういう理由で上野さんの講演会を中止と判断されたのか、その理由を聞かせて頂けますか?」
 そんな質問にも市長は、よほどいい人なのか、ニコニコとカメラ目線でお答えになる。
「いやあ、あんまり抗議があったもんで」
「市民の抗議が少しでもあると、一度決定したことを変えてしまわれるのですか?」
「いやいや、報道で言われているより沢山あったんですよ」
「だから、市民の抗議があれば決定事項も変えてしまうのですね?」
「いや、そんなことはないですが、抗議の…」
これでは同じ問答の繰り返しになるので、質問を変えて、
「その話はわかりました。で、市長さんが一度中止と決めたことを撤回されて、講演会を開催すると決められた理由を教えてください」詰め寄っても、市長は相変わらず穏やかな笑顔で、カメラを見ながら、
「それは、ここにいる担当の者たちがあまりに熱心だったもので、ま、この仕事熱心な部下たちに免じて…」とお答えになるのである。
 だめだ、こりゃ。私は質問(詰問?)する気がしゅるしゅると萎えていき、手は自然にカメラのスイッチを切っていた。
 そしていよいよ講演の時間が迫り市長が席を立ったとき、上野さんがピシリと言った。「市長さん、私も今回のことでは大変迷惑をかけられました。市長判断の二転三転によって迷惑をかけられたのは市民も同じだと思います。ご挨拶の時、市民と私に謝られたほうがよろしいと思いますよ」
 その後市長は、「それはできません」的な反応を示したと記憶してるが、5分後、市民の前に挨拶に立ったときは、きちんと市民と上野さんに対する謝りの言葉を述べておられた。
 でも、「やっぱり頂けないな」と思ったのは、自分の挨拶を終えるとさっさと会場を後にしてしまったことである。市長は市民の信頼を回復するためにも、せめてその日の講演は何を置いても一緒に聴くべきだった。結局舞台で謝ったことも「すべて帳消しね」と思ったのは、私だけだったろうか。

 ところで、楽屋での市長インタビューを断念した私は、会場で客入りが始まったと聞いて、一目散にホールに走った。
 そして会場入りするお客様の顔がいちばん見えやすい所に陣取ると、懐かしいSさんの姿を探し続けた。署名運動までされたというなら、この会場にかならずいらっしゃるに違いない。なんとか見つけなければ。でも、10何年も前にこの会場でお会いしたきりの方を見つけることなどできるだろうか…。
 と、会場入りする人びとの列を目を皿のように見ていたとき、
「あ、Sさんだ!ぜったいあの方に違いない」と、簡単にわかったのだ。
 彼女がお友達ととった席に走っていって、
「あの〜、もし間違いだったらごめんなさい。S.Sさんではありませんか?」
と尋ねると、目の前の方はいぶかしいお顔で、
「はい、Sですが…」と私の顔を怪訝そうにご覧になるだけである。
「お久しぶりです。私、松井久子です。『折り梅』の…」と言った途端、Sさんの顔がみるみる輝いた。
「あんた、何でこんな所にいるの!?」
その後は、二人手と手を取り合って、十数年ぶりの再会を喜んだのだった。
 でも、『折り梅』の上映会以来12年ぶりのSさんの顔を、ちゃんと覚えていたなんて、すごい。まだボケてないぞ。

 それにしても、その日の講演会の人気はすさまじかった。山梨市民ホールは開場するとあっという間に満員になり、上野さんが舞台に登場すると割れんばかりの拍手である。
 だいたい「おひとりさまが在宅で死ぬために」というテーマでどうして中止騒動など起きたのだろう。安倍政権になってから、やはり中央から地方への引き締めも強まっているのだろうか、それとも地方の役所にありがちな自主規制のたぐいなのか。

講演後 上野さんの写真

講演後、マスコミの取材を受ける上野さん


 いずれにしても市長の勇み足のお蔭で講演会がかえって注目され、大成功に終わったのは万々歳。
 ただ、市長の決定を翻すことに成功したのも山梨市民なら、選挙であのようなトップを選んだのも市民なのだ。上野さんの講演はさすが素晴らしかったが、会場全体が「こんな市長で恥ずかしい」といった空気一色だったことには、「なんだかヘン」と少し違和感もあった。
 講演の帰り、上野さんの運転する車に乗せて頂いて東京に向かう。互いに私語らしい会話をするのははじめてのこと。ドライブの間、フロントガラス越しに輝く満月をめでながら、語りあった2時間。「女同士っていいな」と、とても心地のいい夜であった。